広島市民とともに歩み続ける「広島本通商店街」に
ついてご紹介します。
広島市民の心のよりどころであり続ける
「広島本通商店街」の歴史を振り返ります。
昭和5年 (1930年) |
平田屋町・播磨屋町・革屋町の3町で構成する「三栄会」と、 横町・細工町で構成する「共盛会」が合併し『本通会』結成 |
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昭和21年 (1946年) |
広島本通商店街復興発起人会」(草分会)発足 |
昭和23年 (1948年) |
中小企業協同組合法による「広島本通商業協同組合」設立、 初代理事長に中山良一就任 |
昭和25年 (1950年) |
「広島本通商業協同組合」法人成立の登記 |
昭和29年 (1954年) |
本通りに初代アーケード完成、祝賀式挙行 |
昭和30年 (1955年) |
初代アーケード、16cmの積雪被害で倒壊 |
昭和40年 (1965年) |
「本通」が行政区画の正式町名となる |
昭和57年 (1982年) |
広島本通商店街振興組合とデンマークの首都コペンハーゲンにある「ストロイエ商店街」と姉妹縁組締結 |
平成3年 (1991年) |
本通商店街の3代目アーケードの改装工事完成。 これを契機にイメージソング、ロゴタイプも一新 |
平成4年 (1992年) |
本通商店街情報誌「ウー」創刊 |
平成5年 (1993年) |
本通歩道のカラー舗装工事完成 |
平成12年 (2000年) |
西国街道プレートを路面に設置 |
平成20年 (2008年) |
組合創立60周年を迎える |
平成30年 (2018年) |
組合創立70周年を迎える |
カープに熱い広島市民!
応援の拠点はいつも「広島本通商店街」。
本通商店街はカープを長年応援し続けてきました。球団設立26年目で初優勝した1975年には、
優勝を決める2か月前の8月に、「本通祭」と題したカープのV1を祈願するイベントを開催しています。少し気の早い仮想優勝パレードも行われ、大変な盛り上がりを見せました。初優勝した1975年と、
4年ぶり2度目のセ・リーグ制覇を果たした1979年には、ちょうちん行列も開かれました。
先着3千人にちょうちんが配られ、増え続けた群衆は最終的に2万人にまで膨れ上がったといいます。本通に集まる熱いカープファンの姿は、今も昔も変わりません。
25年ぶり7度目のセ・リーグ優勝を決めた広島東洋カープ。本通は、優勝を決めた夜から、喜びに浸る多くのカープファンであふれました。自然発生的に始まったハイタッチの行列、響き渡る応援歌。本通がこれまでにないハッピーなムードに包まれました。
25年ぶり7度目のセ・リーグ優勝を決めた広島東洋カープ。本通は、優勝を決めた夜から、喜びに浸る多くのカープファンであふれました。自然発生的に始まったハイタッチの行列、響き渡る応援歌。本通がこれまでにないハッピーなムードに包まれました。
37年ぶりのセ・リーグ連覇を成し遂げたカープ。2016年に引き続き、優勝が決まった時には本通に喜ぶファンが詰めかけ、ハイタッチをする行列ができました。また、カープ歴代の名選手を筆頭に、応援団がトランペットや太鼓を演奏して盛り上げる中、ちょうちん行列も2年連続で行われました。参加者たちは笑顔で本通を練り歩きました。
黒田メモリアルプレートが設置されました。
この年、球団史上初のセ・リーグ3連覇を達成。また、27年ぶりとなる地元での優勝決定となりました。7月の西日本豪雨で、広島は多くの人々が被災しただけに感慨深い3連覇となりました。ちょうちん行列も3年連続の開催となり、袋町公園であった日本一を祈願する決起集会も大いに盛り上がりました。
「広島本通商店街」についてエリアごとに
詳しく紹介します。
各丁目をクリックすると解説にジャンプします。
本通商店街の最も東側に位置するのが本通1丁目(イエローゾーン)です。旧町名は「平田屋町」。広島城を築いた毛利輝元に出雲から招かれ、城下の町づくりに力を尽くした平田屋惣右衛門の名から付けられたといわれています。現在は衣料やジュエリー、時計、眼鏡といったファッションに関連する専門店が多く軒を連ね、広島の最先端のトレンドを発信しているエリアの一つといえます。創業100年を超える老舗もあり、若い人から年配の人まで、幅広い世代がオシャレを楽しめることも魅力。新旧が融合して街の魅力を生み出しています。
「本通り(1952年7月21日)」 広島市公文書館 提供
1952年の旧平田屋町界隈のにぎわい。現在のパルコ前から西に本通を望む。左に『ゑりべん』『下村時計店』、右に『菊菅』『田中(現・メガネの田中)』の看板が見える。初代アーケードが設置される直前の貴重な資料。
本通2丁目(レッドゾーン)は、旧町名で「播磨屋町」と呼ばれたエリアです。16世紀後半の天正年間の頃、紀州からやってきた湯川播磨守宗有が、当時はまだ干潟だった紙屋町周辺を埋め立てて開拓し、屋敷を建てて居住しました。その業績をたたえるために、彼の屋敷地を「播磨屋町」と名付けたといわれています。現在も本通2丁目に店を構える『赤松薬局』は、創業400年以上を数える本通随一の老舗です。1615年に備中金川村(現在の岡山市北区辺り)から現在の場所に移り開業しました。また、2007年に完成した『本通ヒルズ』は、本通のランドマークとなっています。
1952年4月、「広島まつり」でにぎわっている播磨屋町の様子を、現在の『ひろしま夢ぷらざ』の辺りから東向きに収めた1枚。広島まつりは、戦前のにぎわいを本通に取り戻そうと企画され、1966年まで続いた。
かつて「革屋町」と呼ばれた本通3丁目(パープルゾーン)は江戸時代、革屋吉郎右衛門をはじめ、革の染色業者が20軒あったという記録が残る革細工の町でした。また、銀札を扱う銀札所や金銀を取引する相場会所が開かれたり、両替が行われたりするなど現在の金融機関的な業務を担う場所でもあったといわれています。現在建て替え中の『広島アンデルセン』は1967年、本通3丁目にレストラン併設のパン販売店としてオープンして以来、多くの人に愛され続けてきました。他にも、買い物途中に休憩できるカフェや飲食店が多く立ち並び、本通を通行する人々に憩いの場として親しまれています。
「(広島名所)紙屋町交差点」広島市公文書館 提供昭和初期の紙屋町交差点を南に望む。左側の5階建てのビルが現在の広島銀行(当時芸備銀行)。このかいわいは金融街として生まれ変わっていった。
本通4丁目(ブルーゾーン)は、塩の取扱業者が多数あったことから名付けられた旧町名「塩屋町」と中区大手町の一部である「横町」にあたるエリアです。
また、本通の最も西側に位置する本通5丁目(グリーンゾーン)は、米などの穀物や中国の器など舶来品の唐物などを扱う商人が多く住んでいた旧町名「細工町」と大手町の一部に当たります。現在は、雑貨店や飲食店、洋品店などバラエティーに富んだ店が集まっています。若者向けのファッションビル『サンモール』も、商店街の盛り上げの一端を担っています。
1956年ごろ。真冬の大雪が降る日に原爆ドーム側から撮影された旧横町の様子。右手に『木定楽器店』の看板が見える。