マツダスタジアムで核兵器廃絶を発信する「ピースナイター」
今年で15回目を迎えました。
コロナの影響でここ2年間は観客を含めた場内パフォーマンスは中止されていましたが、今年は久しぶりに開催。
試合前には、球場内全員で黙祷を捧げ、入口で配布されたピースナイター新聞を掲げます。
5回終了時に、緑と赤のピースナイター新聞を掲げますが、緑色に染まるスタンドの中で、赤色のピースラインが現れます。
これは、原爆ドームと同じ高さ25メートルを描いているのです。
ちょうど内野指定席2階席でした。
ジョン・レノンの曲「イマジン」に合わせて掲げ、体を揺らしながら球場一丸になって平和を願います。
この日のマツダスタジアムはいつもと違い、鳴り物応援はなく、選手のみなさんは袖にピースワッペンを着けてプレーをします。
そして、イニング間にはたくさんの平和へのメッセージが大型ビジョンに映し出されました。
このご時世だからこそ、そして広島だからこそ伝えられるメッセージだなぁと思いながら私も球場で過ごしました。
この日、国歌独唱と始球式を務めたのは友人でもある佐々木リョウくん。
「国歌独唱」と「始球式」の両方!です!!
しかも、ピースナイターという特別な試合。
広島で生まれ育ったものにとって、8月6日は忘れられない、いや、忘れてはいけない日ですよね。
被爆3世であり、反戦歌を紡ぎ続けてきている佐々木リョウくんにとっても感謝と祈りに包まれた日になったことと思います。
大役を務めた後、佐々木リョウ君と会え、始球式のボールをみせていただきました。
ワンバウンドしたので、グラウンドの砂がついているボール。
“このマツダスタジアムの砂がつけたかったけぇ、あえてワンバンしたんよ~”
と、おどけてみせるリョウ君の明るい笑顔にも、平和を感じ、野球が楽しめることって幸せだなぁと感じました。
私自身も被爆2世で、父が5歳の時に爆心地から5~6キロの場所で被爆。
父は、早くに亡くなってしまったので、生前、当時の話をきくことはなかったですが、5キロ近く離れていても爆風で部屋の端から端まで飛んで行った、と話してくれた事は今でも覚えています。
被爆者の平均年齢が約84歳となり、初めて12万人を下回ったというニュースを耳にしました。
今、生かされている私たちに何ができるのか・・・
そして、斬新なアイディアでいつも驚かされる若者たちは、これから何を受け継いでいくのか・・・
広島に生まれ、広島が大好きな私たちにとって課せられた使命ですね!!