あの頃の本通商店街

江戸時代から山陽道のメーンルートとして栄えた本通。現在は「本通」と住所も統一されていますが、かつては東から「平田屋町」「播磨屋町」「革屋町」「横町」「細工町」という町名がありました。最近では城下町の名残は忘れられつつありますが、本通を歩くと、路面に旧町名が書かれた銘板を見つけることができます。創業明治6年 下村時計店。大正3年に現在の場所に移転し、昭和初期には時計台のある英国風の店舗を建造。当時、時計は社会的地位の高い人しか持てなかった高級品。庶民にはあこがれの店でした。 創業明治26年別嬪店。3人の美人(別嬪・べっぴん)の看板が印象的。美人に欠かせない化粧品や貴金属、和装小物などを扱い、杜氏としては珍しい、映画女優愛用の化粧品なども置いていたそうです。創業明治43年たかた屋。衣料品を扱う店として現在まで約100年の歴史を持つ老舗店。日常衣料全般の店として創業し、紳士服店を経て、現在は婦人服専門店へ、時代とともに変ぼうしてきました。創業大正2年
田中眼鏡店。昭和22年に現在地へ移転。最新の検眼機器を備え、中国地方各地からも訪れる人が後を絶たなかったとか。昭和30年代から各地に出店を始め、全国規模へと成長した「タナカ」の総本店です。創業昭和6年
マルタカ子供百貨店。現在のような玩具専門店ではなく、子ども用品全般と婦人物の百貨店として創業。当時は子どものための店というのは珍しく、新しいスタイルのお店でした。昭和20年8月6日、原子爆弾の爆風を受けて、1階部分と2階部分が崩れ落ちた下村時計店。その日、爆心地に近い本通は石造りの建物を除いて、一瞬のうちに崩れ、瓦礫の下には多くの犠牲者が横たわっていました・・・。 昭和25年。復興めざましい本通は、被爆後5年ですっかり戦前の活気を取り戻していました。昭和21年暮れに開始した戦後初の福引付き大売出しもしっかり定着していました。昭和27年ころ。昭和27年から昭和41年まで、広島の商店街が独自に企画した「広島まつり」。仮装行列やおいらん道中など工夫を凝らした企画で、本通に戦前のにぎわいを取り戻そうとしました。昭和29年、西日本一のアーケードをつくり、平面百貨店としてまとまりを見せはじめました。他県からの見学者が多く集まった時代です。大正14年に旧三井銀行広島支店として建てられたルネサンス様式の建物。原爆で大破したものの修復され、代表的な被爆建物になっています。昭和42年にタカキベーカリー創業者が「アンデルセン」をオープン。この地で約400年もの歴史を持つ「赤松薬局」。被爆直後、一面の焼け野原になった本通で、「赤松薬局」の敷地の目印になったのが、今も店舗裏に残る庭石。平和学習のために、修学旅行生が当時の話を聞きに訪れます。
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ショッピング・モール・シスターズ
毎週土曜日の10時30分から16時30分まで、本通商店街を往復しながら掃除、道案内、キャンディーやバルーンアートのプレゼントなどをおこなう女子大生中心のグループ。
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